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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9233号 判決

原告 大参よし

〈ほか四名〉

右五名訴訟代理人弁護士 及川信夫

被告 大参玉雄

右訴訟代理人弁護士 黒田隆雄

主文

別紙目録記載の建物につき、原告大参平八郎は一〇〇分の二七・二の、原告大参よし、同大参七三男、同高橋喜代子は各一〇〇分の一八・二の各割合による共有持分権を有することを確認する。

被告は右原告らそれぞれに対し右建物につき右各割合による共有持分権の移転登記手続をせよ。

原告宮下静子の請求、原告大参よしおよび同大参平八郎のその余の各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告大参よしと被告との間においては被告が支出した総費用の八分の七と同原告の支出した費用の全部をいずれも同原告の負担とし、原告宮下静子と被告との間においては各自の負担とし、その余の原告らと被告との間においては全部被告の負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、

(一)  別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)は原告よしの所有であることを確認する。

(二)  被告は同原告に対し右土地の所有権移転登記手続をせよ。

(三)  (択一的請求)

別紙目録記載の建物(以下本件建物という。)につき、

1  原告らがそれぞれ六分の一の割合による共有持分権を有することを確認する。

または、

2  原告平八郎が一〇〇分の三九、その余の原告らがそれぞれ一〇〇分の一二・二の各割合による共有持分権を有することを確認する。

(四)  被告は原告らそれぞれに対し右建物につき、前項により原告らの共有持分権が認められた割合によるその移転登記手続をせよ。

(五)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求め、請求の原因として、

一、(身分関係)

原告よし(明治三三年生)は、訴外大参寅之助(万延元年生)が昭和二八年八月二三日死亡するまで同人の妻であったものであり、

被告(大正一三年一〇月生)は、右夫婦間の三男、

原告平八郎(昭和二年五月生)は、同じく四男、

同 静子(同 五年六月生)は、同じく長女、

同 七三男(同 八年七月生)は、同じく五男、

同 喜代子(同一一年一月生)は、同じく二女、

(なお、右夫婦間の長男、二男はいずれも幼少のころ死亡したもの、)

である。

二、(本件土地所有権の帰属)

原告よしは、昭和二六年四月九日大蔵省から代金約二万五、〇〇〇円で本件土地の払下げを受けてその所有権を取得した。

右払下げによる右土地の所有権移転登記は、被告に対してなされ、現に右土地の登記簿上の所有名義は被告であるが、それは、便宜上、長子である被告名義としておいたにすぎないものである。

三、(本件建物の所有権の帰属)

本件建物は、昭和二九年一一月原告らおよび被告の全員の国力のもとに、同人らが共同生活を営むための共有物として本件土地上に建築したものである。

もっとも、右建築代金五九万円中一六万円は、原告平八郎がその勤務先きである農林中央金庫から借り受け、その返済は元利とも同原告が一人で遂げたものであり、その余の四三万円は被告名義による住宅金融公庫からの借入金によりまかなったが、右借入金は、原告らおよび被告全員のほぼ同等の協力により返済を遂げたものである。

したがって、本件建物は、原告らおよび被告の全員が持分各六分の一の割合で共有するものか、または、同人らがその建築資金等の面から寄与した割合、すなわち、原告平八郎において左記(1)の、その余の原告らおよび被告がそれぞれ同(2)の各割合で共有するものである。

(1)16/59+43/59×1/639/100

(2)43/59×1/612.2/100

ところで、本件建物の所有権保存登記は右建築当時被告名義でなし、現に右建物の登記簿上の所有名義人は被告であるが、これも前同様便宜上のものである。

四、しかるに、被告は、本件土地建物がいずれも被告の単独所有であるとして、原告よしの本件土地の所有権および原告らの本件建物の共有持分権を争っている。

五、よって、原告よしは、本件土地が同原告の所有であることの確認と被告に対し右土地の所有権移転登記手続を、原告らは、本件建物につき原告らがそれぞれ六分の一、または原告平八郎において一〇〇分の三九、その余の原告らにおいて一〇〇分の一二・二の各割合による共有持分権を有することの確認と被告に対し右建物について右いずれかの割合による共有持分権の移転登記手続をそれぞれ求める。

と陳述し、立証≪省略≫

被告訴訟代理人は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、

請求原因第一、第四項の各事実は認める。

同第二項中、本件土地が原告主張の日に約二万五、〇〇〇円で大蔵省から払下げられ、右払下げに基づく所有権移転登記が被告に対してなされ、現に被告が右土地の所有名義人であることは認めるが、その余の事実は否認する。本件土地は被告が払下げを受けて名実共に所有するものである。

同第三項中、本件建物は昭和二九年一一月に建築されたものであること、その建築資金中四三万円は被告名義による住宅金融公庫からの借入金でまかなったこと、右建物の保存登記がその当時被告名義でなされ、現に被告がその登記簿上の所有名義人であることは、いずれも認める。本件建物は、被告が同年六月四日訴外佐々木新一郎に五五万八、〇〇〇円で請負わせて新築し所有するに至ったもので、その代金は、被告が右公庫から借り入れた四三万円と原告平八郎から借用した一二万八、〇〇〇円とにより支払った。

と陳述し、立証≪省略≫

理由

一、請求原因第一、第四項の各事実、本件土地は昭和二六年四月九日大蔵省から代金約二万五、〇〇〇円で払下げられ、その旨の所有権移転登記が被告に対してなされたこと、本件建物は昭和二九年一一月に建築され、その当時被告名義で保存登記がなされたこと、その建築資金中四三万円は住宅金融公庫からの借入金によりまかなわれたが、その借入名義は被告であったことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、そこでまず、本件土地の所有権の帰属について判断するに、原告よしは、大蔵省からの本件土地の払下げは同原告が受けた旨主張するが、本件全立証によるも、この主張事実を認めることはできない。

かえって、≪証拠省略≫によると、前記のとおり当事者間に争いのない請求原因第一項掲記の寅之助は、大正時代に本件土地を当時の所有者岡見某から賃借りして同地上に建物を所有し、その後これを原告らおよび被告との生活の本拠としていたが、昭和二〇年同所は戦災にあい、その頃右一家は千葉県下中川村に疎開したこと、しかしながら、昭和二一年に入ってから原告平八郎および同七三男は本件土地上に戻ってバラック住まいをするようになり、同年五、六月ごろには復員してきた被告もこれに加わり、一家は相協力しながらも中川村と本件土地に別れて生活し、この状態は昭和二五年秋ごろ寅之助および原告よしらが中川村を引揚げて本件土地に戻るまで継続していたこと、この間昭和二一年八月寅之助は隠居し、被告がその家督を相続したこと、一方本件土地は戦後岡見某から国に対し財産税のため物納され、その結果大蔵省が昭和二六年に至りこれを払下げることになったものであること、右払下げを受ける手続は被告自身が被告名義でなしたもので、これについての金策も被告が同年四月ごろ原告よしの義弟にあたる中川村の山口市松方に赴き二万七、〇〇〇円程を借用し、これをもって本件土地の払下代金に充当したこと、右借用金は、後記のとおり原告よしが中川村に所有していた田の売却代金により返済されたが、これら一連のことがらも同原告の了解のもとにすべて被告において処理されたこと、本件土地の所有権の帰属をめぐる原告らと被告との間の紛争は、被告が昭和三八年に結婚して後その妻と主として原告よしとの間に葛藤が生ずるまでの間はそのきざしすらなく平穏裡に一〇数年間が経過したものであることを認めることができる。≪証拠判断省略≫

以上の事実によれば、大蔵省から本件土地の払下げがなされれ当時、前記寅之助、原告らおよび被告の家庭においては、被告が中心的な役割を果すべき立場におかれていて、同人が名実共にその払下げを受けたものであって、これにより本件土地の所有権は被告に帰属するに至ったものというべきである。

もっとも、≪証拠省略≫によると、前認定の山口からの借入金は、昭和二六年末ごろ原告よしが中川村に所有していた約三反に及ぶ田を売却処分し、その代金によりそのころ返済されたことを認めることができる。≪証拠判断省略≫右事実によれば、前認定のとおり被告が山口から二万七、〇〇〇円の借入れをなし得たのは、原告よしの信用によるものであるばかりか、被告は、本件土地の払下げについては全面的に原告よしの資力に依存し、これがあったればこそ、その払下げを受け得たものというべきである。しかしながら、本件土地の払下げとこれにともなう所有権移転登記の一連の手続が原告よしと被告との内部関係においては同原告のためになされたものであってこれが被告名義によりなされたのは便宜的な措置にすぎなかったことを窺い知るにたりる特段の事情は、他に見出し得ない。してみれば、先きに認定した諸般の事実にも拘らず、右のとおり本件土地の払下げが原告よしの資力により受け得た事実から直ちに先きの判断を別異に解し、本件土地は原告よしと被告との内部関係においては実質的には同原告が払下げを受けたものと即断することは未だなし難く、むしろ本件土地の払下げにともなう原告よしの右負担は、当時においては、円満な家庭における親子の情愛とおそらくは老後を長子である被告に託する期待とから被告に本件土地を得させるために果したものと推認するのが相当である。

そして、他に被告が名実共に本件土地の払下げを受けた旨の前叙判断を左右すべき証拠はない。

三、次に、本件建物の所有権の帰属について検討するに、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  原告らおよび被告の家庭においては、昭和二八、九年当時原告よしが収入の一切を総括して家計のやりくりを掌握していた。その当時、原告よしのもとにあって既に就職していた原告静子および被告はそれぞれ給料の相当部分を原告よしに渡し、また農林中央金庫松山支所に勤務していた原告平八郎(昭和二七年大学卒)は必要経費以外を原告よしに仕送りしていた。もっとも、原告静子は、おそくとも昭和二九年六月には結婚し原告よしのもとを離れたため、その後は原告よしに仕送りすることはできなかった。なお、当時原告七三男は大学在学中(昭和三二年卒業)であったが、アルバイトにも励んで家計に貢献しており、原告喜代子は昭和二九年三月に高校を卒業して就職し、じ来給料の大部分を原告よしに渡していた。

2  本件建物を新築する前の同人らの住居は、本件土地上の戦後のバラックのままであったため老朽化がいちぢるしく、昭和二八年ごろから同人らの間で住居の新築が話題にのぼるようになった。

3  昭和二九年に入ってから、被告がたまたま同人名義で申し込んでいた住宅金融公庫からの借入金が得られることとなったため、右のとおり話題になっていた住居の新築がにわかに現実化した。しかしながら、原告らおよび被告においては、右借入金のほかに特段住居新築のための資金にあてるべき貯えはなかったため、この事情を知った原告平八郎は直ちに前記勤務先きの職員奉仕組合から一六万円を借り受け、これを建築資金に使用するよう一切を原告よしに託した。

4  原告よしは、被告名義による住宅金融公庫からの借入金四三万円と右のとおり原告平八郎が調達した一六万円とにより、みずからの計算において、本件建物の建築請負代金その他の建築費用を支弁した(本件建物の建築資金中四三万円が被告名義による右公庫からの借入金によりまかなわれたことは、前記のとおり当事者間に争いがない)。そして、その当時は、被告においても、右四三万円と一六万円とがどの程度において本件建物の建築費用にあてられたか知らないままであったばかりでなく、被告は右四三万円の借入れについてもみずからの借財としてその後みずから返済に努力するようなことは特段なかった。

5  原告らおよび被告の家庭においては、本件建物の建築前後ごろ、特段本件建物の所有権の帰属についての問題が話題とされたことはなかった。

6  なお、右公庫からの借入金四三万円は、原告よしが同平八郎、同七三男、同喜代子および被告からそれぞれ渡されまたは仕送られる給料と本件建物の一部を他に賃貸したことによって得られる部屋代とにより順次返済してきたものであるが、この間被告は競馬競輪にこって家計を省みなかったことがあるばかりでなく、そのために借金までもしてその返済を原告よしに遂げさせたりしたこともあった。

反面、農林中金からの右一六万円の借入れについては、原告平八郎が給料により全面的に返済を遂げたものである。

以上の事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

ところで、ある不動産の所有権の帰属をめぐる親族間の紛争は、往々深刻な様相を呈し、その解決には他人間の紛争の場合以上に微妙な諸要素が作用するものであるが、当該建物が住宅用建物である場合には、特段の約定の成立を認め得なくとも、これを建築した目的、その当時における家族の年令、建築の資金面または新築計画の推進もしくはその実現の面等における家族の協力の程度、当該建物の所有権の帰属についての家族の意識ないしは関心の程度、その保存登記のなされた経緯等当該建物の建築過程にまつわる特段の事情から、その建物は、登記簿上の所有名義の如何にかかわらず、これが新築された当時における当該家族全員の共有に属するとみるべき場合も存在するものである。そして、新築建物について、格別の約定がないのに、右のような特段の事情からそれが新築当時の家族全員の共有に属するとみられる場合において、その持分の割合は、あるものが建築資金の負担等について格段の役割を果し、これが他の家族の協力の度合に比して別個に評価できる程度に達している場合には、そのものについてそれ相応の割合の持分を認め、協力の実質的程度が特に他の家族に比して異ることが認め難いものについては残余の持分を平等に分割した割合に従うものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、まず、前記のとおり当事者間に争のない請求原因第一項の事実と先きに認定した諸般の事実からすると、本件建物の建築が具体化し、そして実現した当時原告静子を除く原告らおよび被告の家庭においては、原告よしの子らのうち原告七三男、同平八郎および被告はいずれも成年に達しており、原告喜代子は未成年であったが既に就職していて、全員が原告よしを中心として円満裡に相協力し、殊に家庭経済の面においては、それぞれの立場の相違から形式的には差異があったにせよ、全員が各人それなりに貢献し家庭経済の維持を計っていたこと、本件建物の建築は、そのような環境のもとにある同人らが右のような事情の故に当然相協力し、その資金面または新築計画の推進もしくはその実現の面等において実質的に相協力し、暗黙のうちに、本件建物を同人らが利用するための同人ら全体のものにし、あるいはそれが全員のものになるという意識のもとに成し遂げられたものであることを窺い知るに十分である。しかも、本件建物の所有権保存登記がその建築当時被告名義でなされたものであることは、前記のとおり当事者間に争いがないが、右のとおりの保存登記をなすについて、原告らおよび被告の家庭において何らかの協議がなされたというような特段の経緯を認めるにたりる証拠はない。かえって、先きに認定した諸般の事実からすると、右のとおり被告名義で保存登記がなされたことは、被告が当時原告らおよび被告の家庭における長子であったこと以外に特段の合理性ないし必然性があるものではなく、その名義人は原告らのうちのいずれか一人、特に原告よしまたは同平八郎であったとしても不自然ではなかったものというべきである。

そして他方、同人らが本件建物の建築資金の負担等について果した役割は、原告平八郎においてその建築資金合計五九万円中一六万円を負担した点が他のものの協力の度合に比してきわだち、格別に評価できるものであることは前認定の事実から明らかであるが、原告よし、同七三男、同喜代子および被告については、そのうちのあるものが他に比して協力の実質的程度において別個に評価できる程の差異があったことを認めるにたりる証拠はない。

そうだとすると、叙上の説示に照らし、本件建物は原告静子を除く原告らおよび被告の共有に属するものであり、その各持分は、原告平八郎において左記(1)の、原告よし、同七三男、同喜代子および被告においてそれぞれ同(2)の各割合によるものと認めるのが相当である。

(1)16/5927.2/100

(2)59-16/59×1/418.2/100

もっとも、≪証拠省略≫によると、本件建物を建築するに当っての東京都知事に対する設計審査申請等は昭和二九年六月になされたが、その申請人ないし当該手続における本件建物の建築主はいずれも被告名義となっていること、本件建物の建築請負契約は、被告がその知人佐々木新一郎に直接折衝し、同年九月四日同人との間に被告名義をもって締結されたこと、住宅金融公庫に対する前記借入金の返済のため被告が振り出した約束手形の中には、当時の被告の勤務先きである千代田宣伝なる会社の社長である那須孫一が手形保障しているものがあることを認めることができる。しかも、本件建物の敷地である本件土地が被告の所有であることは、二において判断したとおりである。しかしながら、前認定の諸般の事実に照らすと、本件建物の建築にともなう東京都知事に対する手続関係において被告名義が用いられたことは便宜的な措置にすぎず、また本件建物の建築請負契約の締結および住宅金融公庫に対する借入金の返済についての約束手形に関する点は、いずれも本件建物の建築についての被告の協力の一態様とみるべきものであり、さらに先きに判断した本件土地取得の経緯および右建築当時における原被告らの家庭の状況に照らすと、本件建物の建築についての本件土地利用の点は、被告が家族間の情宜上当然のこととして容認していたものと考えられるので、右に認定した各事実から直ちに本件建物の所有権の帰属についての前記判断を別異に解することはできない。

原告静子については、同原告が本件建物の建築当時既に結婚して他の原告らおよび被告とは別世帯を営んでいたものであることは、先きに認定したとおりであり、他方原告静子が本件建物の建築についてその資金面等において特段の協力をしたとか、その当時本件建物の所有権の帰属について他の原告らおよび被告と同じような意識ないし関心をもっていたとか、その他原告静子が本件建物につき共有持分権を取得したことを推知すべき特段の事情を認めるべき証拠はない。そうするとむしろ、当時、原告静子が本件建物につき共有持分権を取得するというようなことは、同原告の主観においてはもとより、客観的にも考えられないことがらであったと推測され、原告静子が本件建物につき共有持分権を有することは否定されなければならない。

そして、原告らおよび被告それぞれの本件建物に対する共有持分権の帰属の有無およびその割合についての叙上各判断を左右すべき証拠は他にない。

なお、原告よし、同七三男および同喜代子の本件建物に対する共有持分権の各割合についての前記判断は、形式的には、同原告らの主張するその各割合の限度を超えるものである。しかしながら、その判断は、原告らの主張に含まれない別個の原因に基づいているものではなく、本件建物の建築に対する原告らおよび被告の協力の度合に応じてその持分の割合を定めるという基本的方法においては原告らの主張と帰を一つにするものである。しかも、持分の割合についての前記判断が形式的には原告らの主張する限度をこえるに至ったゆえんは、原告らの主張が原告平八郎の持分を単に五九分の一六としないで、これに、その余の割合を原告らおよび被告の全員数で除したその一を加算しているのに対し、前記判断は原告平八郎の持分を五九分の一六にとどめ、その余の割合はその他のものに帰属するとの前提にたち、しかも原告静子の持分の存在を否定したことに由来するものである。他方原告らの主張は、本件建物の建築についての原告らおよび被告の協力の度合の評価方法の多様性を予測し、原告らのうちのあるものの持分の割合がその主張の限度内にとどまり、または否定された場合には、他のものの持分がそれだけ増加することを当然の前提にしこれについての判断をも求めているものと解される。したがって、原告らの主張する本件建物に対する原告らの持分の総和の限度内である前記判断は、実質的には原告らの主張の範囲を超えるものではなく、他面被告に対する関係においても別段不意打ちを与えるものではないので、許容されるものと解すべきである。

四、以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、原告静子を除く原告らがそれぞれ本件建物につき、先きに判断した各割合による共有持分権を有することの確認を求め、かつ本件建物の登記簿上の所有名義(これが被告名義であることは当事者間に争いがない。)を真実の権利関係に符合させるため被告に対し右各割合による共有持分権の移転登記を求める限度において正当であるから認容し、原告静子の請求ならびに原告よしおよび同平八郎のその余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 奥平守男)

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